米カンザス州から1987年に発掘されたプレシオサウルス類 Polycotylus latippinus の骨格内に、”胎児”の骨格がある。これはプレシオサウルス類は胎生だったことを示す初めての標本であり、大型のおそらく一頭のみの幼体を産んでいた。これは複数の幼体を産む他の海生爬虫類と異なっているが、現生海生哺乳類や少数の現生爬虫類と同様の繁殖戦略をとっていたもので、プレシオサウルス類は社会性もち、子の養育も行っていたかもしれないとしています。
問題の標本LACM 129639は、ロスアンゼルス郡立自然児博物館の新装なった恐竜ホールに展示されています。1987年、カンザス州Logan郡のBonner RanchでCharles Bonnerにより発見・発掘されたものです。カンパニアン期(約7800万年前)の地層からです。成体の骨格中に幼体の肋骨、20個の椎骨、肩帯、腰帯や上腕骨、大腿骨などが含まれていました。
これが、胎児なのか、食べられたものなのか、吟味されなければなりません。論文では、1.幼体の関節した骨盤が成体の内臓のある領域にあることから、堆積時には既に成体の体内にあったこと。2.成体・幼体とも同種 P. latippinus であること。3.幼体の骨格は骨化が貧弱で、胎児の特徴を示すこと。4.幼体には成体に食べられたような兆しが何もないこと。胃酸に侵された骨はないし、胃石や他の胃内容物もないとしています。ゆえに胎児をもつメス成体の骨格だと結論しています。
さて、注目すべき点はもう一つ、この胎児の大きさと数があります。魚竜、モササウルス類など他の海生爬虫類が複数の幼体を産むことが確認されています。しかし、この標本から成体・胎児の骨格を復元すると、成体の体長が470cmであるのに対し、胎児の体長は死亡時に1.5mに達し、これは成体の体長の32%にもなるということです。おそらく出産時には体長でさらに15%、体重で50%大きくなっていたと見積もられています。これは繁殖におけるK戦略をとっているもので、他の海生爬虫類に比べ特異な点であるものとしています。
むしろ、繁殖戦略は海生哺乳類に似たものであり、このことから、プレシオサウルス類は社会性を持って群れで生活し、子育てに労力を注いだと仮説を立てています。この仮説が成立するためには、さらに証拠が必要ですが、同類の生活史は他の海生爬虫類と著しくことなり、高度に社会性をもつ海生哺乳類やトカゲ科爬虫類と同様であったのは確実としています。
論文
Viviparity and K-Selected Life History in a Mesozoic Marine Plesiosaur (Reptilia, Sauropterygia)
F. R. O’Keefe and L. M. Chiappe (2011)
Science 12 August 2011: 333 (6044), 870-873. [DOI:10.1126/science.1205689]
ユーレカアラート サイエンスNOW マーシャル大 ナショナルジオグラフィック(日)
「遠い海から来たCOO」は、発見されたとき幼体でしたが、「のび太の恐竜」では卵でした。「のび太の恐竜」が今後リメイクされたら、卵は幼体に変わるでしょうか。